2005年12月31日

「私(わっち)がへい

このお客さんをのっけて……」
 片手で指さしながら、振り向くともうそこには、さっきまでいたはずの、客の影も形もない。
「オヤ、いねえや……」
 見物人が、崩れるように笑いどよめいた。俥夫が喧嘩しているうちに、客は只乗りをして逃げてしまったのであった。
 とうとうすぐ傍の交番へ引かれて、軒先に燈っている赤い小さい電燈を見た瞬間、どこかへ行っていた庸之助の正気が、フーッと戻って来た。
「俺は一体何をしたのだ? 馬鹿な!」
 庸之助は、もうジッとしていられないほどの心持になった。彼が口癖のように云い云いした、「良心の呵責」が一どきに込み上って来たのである。
 巡査は酒を飲んでいるかと訊ねた。飲んだと答えはしたものの、実際は飲んでいなかった。けれどもどうにかして、こんな下らない、恥かしい自分の位置の弁護となる理由を探したかったのである。傍にいた年寄が、酒の上のことだからとしきりに、庇ってやった。そして「お互に若いときというものは、とかく気が荒いものでなあ」などと、巡査に巧く勧めた。ちょっと見物の手前、訓戒めいたことを喋って、そのまま、巡査は庸之助を許してやったのであった。
 町はますます賑やかに、華やかになって来た。敷石道を、水を流したように輝やかせているいろいろの電燈。明滅するイルミネーション。楽隊。警笛。動きに動いている辻に立って庸之助は、呆然としている。ただ開けているだけの彼の目の前を、幾人もの通行人、電車が通り過ぎた。そして、或る一人の若者が、自分の顔をこするようにして通りかかったとき、庸之助は思わずハッとして反動的に面をそむけた。
「浩だッ!」サアッと瀧のような冷汗が、体中から滲(にじ)み出すのを感じた。彼は恐る恐る頭を回して眼の隅から、今行き過ぎようとする若者の後姿を窺(うかが)った。いかにもよく似ている。そっくりその儘である。けれども浩ではなかった。若し彼なら、これほど近くにいる自分を見ないで通り過ぎることは、絶対にないからである。そう思うと、何ともいえない安心が庸之助の心に湧き上った。そして、今まで気付かなかった秋の夜風が、ひやひやと気味悪く濡れた肌にしみわたった。彼はホッとして、額を拭きに手を上げたとき、そのとき、その瞬間! ようよう落付いた彼の頭に、電光のように閃いたものがある。それは浩が、常に云い云いした「強く生きろ!」という言葉であった。
「強く生きろ! 強く生きろ!![#「!!」は横1文字、1-8-75]」
 庸之助は、今日までこんなにも悪く悪くと進んで来たにも拘らず、未だ自分を悪くなりきらせない何物かがあることを感じた。彼の言葉を思い出した瞬間、いかほど内心の或る物が動揺しただろう。彼はいても立ってもいられなくなった。「こうしてはいられない。どうにかしなければならない。」彼の目前には、体中に日光を輝かせて、勇ましく働いている浩が、両手をあげて自分をさし招いているのがまざまざと見えた。「こうしてはいられない!」彼はもう、目にも届かない、暗い深い谷底へと、ずるずる転落する自分を見離すことは出来ない心持になった。どうにかせずにはすまされない心持――。庸之助はそれが「希望」であることを覚ったのであった。
「希望!」
 父親の入獄以来、自分には絶対に関係ないと思っていた「希望。」
「ああ! 俺にはまだ希望があったのだ!![#「!!」は横1文字、1-8-75] 希望が!」庸之助はこわばっていた心が、端からトロトロと融(と)けて来るのを感じた。名状しがたい涙がこぼれ出したのである。

沖縄風俗
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2005年12月29日

この夕方も、

庸之助は平常の通り、――交叉点で夕刊を売っていた。
「アー夕刊は一銭! 報知やまとの夕刊は一銭!」
 今止まったばかりの電車の窓々に気を配りながら、彼は叫んで、鈴を出来るだけ勢よく鳴らした。
「夕刊は一銭、アー報知やまとの……」
 車掌台に近い一つの窓から、一時に二本の手が銅貨を差し出すのを見つけた庸之助は、大急ぎでかけよって、後ればせに来た一人の仲間を、腕で突飛ばしながら新聞を渡した。妙に魚臭い二つの銭を籠の底へ投げ込むと、彼はちょっと手を突込んで掻きまわしながら、
「チェッ、これっちかい!」
と、いまいましそうに舌打ちをした。もう小一時間立っている割に今夜は溜らない。気が揉めた。一枚でも多く売らなければ、明日の飯に困る彼は、勢い、一生懸命にならずにいられなかった。動き出した電車を追っかける彼の腰の周囲では、六つも一つなぎにした鈴が、ジャラン、ジャランと耳の痛いほど、響きわたった。電車が混むにつれて、買いても多くなって来る。庸之助は平常の通り醜いほど興奮して、後から後からと止まる車台の間を、鼠のように馳けまわって、自分と同じ側にいる十四ほどの夕刊売りには、一枚でも売らせない算段をした。耳と眼を病的に働かせて、どんな小声の呼かけでも、奥の方に出せずにいる手でも見落すまいとしていたのである。自動車が通り荷車が動いている間に、彼は危険などということは、念頭にも置かなかった。ところが、ちょうど彼が人を満載して動けずにいる車台の下で、今新聞を渡したときである。次の車のどこかで夕刊を呼ぶ声が聞えた。
「オイ、夕刊売りはいないのか?」
 彼はまっしぐらに馳け出そうとした、途端、一台の俥(くるま)が行く手を遮ぎった。ハット思う間に、俥夫の気転で衝突は免がれた。けれども、客はもう他の売り子に取られてしまった。
「畜生! 気をつけやがれ!」
 俥夫が罵倒するにつれて、「間抜けな野郎だなあ」と笑った乗っている男の大きな腹が、庸之助の目の前で、戦を挑むように、膨(ふく)れたり凋(しぼ)んだりした。
 気が立っていた庸之助は、このかさねがさねの侮辱にムッとした。
「何だと? 今何んてった! 畜生もう一ぺん繰返して見やがれ!」
と叫ぶや否や、突然梶棒を俥夫ぐるみ、力一杯突き飛ばした。
 ヨロヨロとなって、危く踏み堪(こた)えた俥夫は、また二言三言悪口を吐いた。客も「何が出来るものか!」というように、負けずに愚弄するのを見ると、庸之助の病的な憤怒が絶頂に達した。激情で盲目になった彼は、もう口で喧嘩をしている余裕がなくなった。握りかためた両手の拳固が、二人の男の頬桁(ほほげた)に、噛みつくように飛んで行った。生活に疲れていた庸之助の頭は、全く常軌を逸してしまった。真黒になって、手あたり次第擲ったり蹴ったりしたのである。忽ち人が黒山のようになる。或る者が交番へ走る。巡査が来たッ! と云う声が群集の中から起ると、今まで同等な敵として、庸之助を、同じくらい夢中になって撲ったり、突飛ばしたりしていた俥夫は、サット手を引いた。鑑札を調べるとき、「おまわり」は彼等にどのくらい勢力を持っているかということをよく知っていたのである。
 で、攻撃の態度を変えて、ひたすら防禦しているように、庸之助の降らす拳固を、腕で支えたり、「まあ、まあ」と云いながら後じさりをしたりした。で、巡査が来たときは、さも「悪い奴」らしく、庸之助が鎮(しず)めにかかる俥夫を狂気のように撲っていたのである。
「コラコラ、一体何事じゃ?」
 佩剣(はいけん)を、特にガチャガチャいわせて、近よりざま、振り上げた庸之助の手を掴んだ。俥夫は汗を拭き拭き、出来るだけ上手に弁明し始めた。
北陸風俗
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2005年12月28日

出発の日は陰気な、

いやにドンヨリした天気であった。浩が午後七時の列車で立つ姉達を送りに停車場へかけつけたときは、もうよほど時間が迫ったので、何事も落付いて話す余裕がなかった。もう何年も旅という声さえ聞かなかったお咲は、息子の手をしっかり握りながら、かなりまごまごして、はたの者の云うことなどは、よくも耳に止まらぬらしかった。天井も床も一緒くたに掻き廻すような騒々しさに、彼女は全くのぼせ上っていた。けれども、心の底にはいつでも涙がこぼれそうな悲しさがあった。なけなしの懐から、空気枕だの菓子などを買って来た浩に対しても、疲れていながら、わざわざ送って来てくれた良人に対しても、彼女は、もうお別れだという心持をしみじみと感じた。「私はもう死にに帰るのかもしれない」というように、皆の顔を眺めているお咲を見ると、見送りに来た者も、妙に滅入った心持になって、ただ帰国するものを送るというより以上に、何か重たいものが、のしかかって来る気がした。恭二などが、いろいろ咲二に優しい言葉をかけたり、お咲を労(いた)わったりしているのを見ても、浩はほんとうに、もう帰るとか帰らないとかいうことを、問題にもならなくしてしまう予感が、この別れ際に彼女に各自の愛情を注がせているのではないかということさえ考えた。そして、強いて皆が、安心そうに、全快し帰京することなどを話しているのを見ると、幾分腹立たしいような心持がした。あらゆる予感、予覚というものを、かなり強く信じている浩は、せめて自分だけでも、こぼしたい涙をこぼしきってしまいたかった。がそれも出来ない。普通の通りに、別れの言葉をのべて、注意を与え、ほとんど無意識に出るほど口についている、よろしくを加えた。無事な中でも、最も無難な行程を選んで、すべてがそれはそれは穏やかな様子で済んでしまった。窓からのり出しているお咲の顔が、列車の動揺につれて揺すれながら、名残惜しそうに停車場の方を見送っていた。
関西風俗
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2005年12月26日

子供に別れて、

独り帰国することには、気ののらなかったお咲も、息子を連れてというのに心を動かされた。その上、今通っている学校は、名高いには違いないが、好い家の子ばかり行くので、何かの振合――たとえば、何やかやの寄附だとやら、いうことだけでも、身にあまることだのに、ないないにはずいぶん御機嫌伺いが行われているので――月謝ばかりですむものではない。それこれもあるので、退かせたいと思わないでもなかったので、大変好い機(しお)だとも思った。久し振りで、のびのびと眠(ね)るだけも眠てみたいなどとも感じて、行こうと思ったり、また思いなおしたりして、決定するまでにはずいぶん暇がかかったのである。誰に相談しても、「自分で行った方がよいと思うならば」というくらいなので、彼女は、自分で自分の気持を知るに苦しんだりした。
 孝之進はそのことに異議はなかった。が、ちょうどそのとき、M家のことに就いて、また一つ新らしい事件が起って、その奔走にせわしかったので、都合の返事もつい、のびのびになっていた。事件というのは、今度村民がM家を相手どって、訴訟を起したのである。耕地整理を口実にして、M家の先代が――今年は八十に手の届く老人で隠居をしている――官有地の払下げを請願して、成功した幾段歩かの田畑を、着服してしまったというのである。折々、物議の種とならないこともなかったのだけれども、村役場や、小学校などに少なからず寄附したりしていたので、そのままになっていたのを、M老人と個人的な衝突をした者が、腹立ち紛れにというようなことが起因(おこり)であった。一体M老人はすべてに遣り手すぎた。一代にとにかくあれだけの資産を堅めたかげには、多大の犠牲が払われている。威光に恐れて、すくんではいるものの、いざとなれば反旗を翻す連中がずいぶんいるので、事件はますます拡大してしまったのである。利も入れず、高瀬の金を借りぱなしにしていることまで、彼等の攻撃材料になって、訴訟の一部として取り扱ったなら、都合よく運ぶと云われて、孝之進は、原告側の主脳者に、自分が委任されたこと全部を、またまかせることにしたのである。それこれでお咲の帰国は、次第にのびていた。が、さあ明日行くというときになって、年寄達もお咲もその他周囲の多くの者が、或る一つのことを感じ出した。それは最初この話が出たときに、浩が得たと、全く等しいものであった。けれども皆だまっていた。ほんとうに皆だまっていた。「早くよくなってお帰り」とか、「今度会うときには、さぞ達者らしくなっているだろう」とか云いながらも、変な心持がしていた。浩はその中に立って、自分の周囲に、「云っちゃあいけないんだろう? え?」というささやきが飛び合うているように感じた。それに拘らず、永年の習慣で、人達は、非常に自然らしい技巧で、手際よく表面を、円滑にしていた。
仙台風俗
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2005年12月25日

退院してから、

お咲はあまり工合がよくないので、同じなら入費のかからない、また気苦労のない国元でゆっくり、養生した方が好いと云うのである。好意ずくの発案ではあるが、浩はただ単純にそれだけのこととは感じられなかった。もとより、考えなく口には出せなかったが、養生に帰国という名義が、永久の帰国の端緒となりはしまいかと案じられた。お咲が離別ということをどのくらい怖がっているかということは、浩によく分っている。嫁に来るとき、黒光りのする懐剣を、ピッタリ膝元にさしつけて、孝之進が、「帰されるようなことをしでかしたら、これで死骸になって来い。自分で死なれなかったら、いつでも俺が殺してやる!」と、睨みつけたときには、もうほんとうに身の毛のよだつほど怖ろしかった、とお咲はよく話していた。そして、父親の気性を知っているお咲は、それが決して嘘ではないと思ったので、こうして今日まで、ただ諦め一つで堪えて来たのも、一つはその耳底について離れない、こえのためでもある。荷物の中にも持っては来たが、その懐剣は、おらくの注意でまた取りかえされた。そういうものを持っていると、魔がさすと云うのである。そして、もう一年も前にどこかへ売られてしまったことだけは、お咲は知らなかった。どんなところにいても不幸から離れられない自分だと、思っているお咲はちょっとも、今の生活からのがれたくはなかった。出戻りとかいう名を冠(き)せられることが、恐ろしかったのである。病気になった始めから、ただその一事をどのくらい気に悩(や)んでいるかを知っている浩は、よけい心配した。けれども若し、自分が云い出したばかりに、そうまでは思っていなかった年寄達に、ほんにそうだなどと思い出されることがあってはいけない、やはり彼は口を噤(つぐ)んでいるほかなかった。
 話はかなり進行した。それにつれて、咲二も体が弱いから、ちょうど早生れなのを幸い、来年の四月頃まで、一緒に田舎で、のんきにさせて置いた方が好かろうということになった。
韓国風俗
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2005年12月01日

この足さぐりの時期には

、戦争遂行に協力した作家たちは作品発表をせず、ジャーナリズム自身の存在安定のためにも、執筆依頼はひかえておくという工合でした。永井荷風がある時期にあのような作品を続々と発表したということには、日本の現代文学の深い悲劇があります。荷風は、明治四十年代にフランスへ行き、当時のフランス文芸思潮の中で、デカダンスは、フランスの卑俗な小市民的人生観にたいして反抗する精神の一表現であるということを見てきました。自分もそういう意味でのデカダニズム、反抗精神の一つの現れとしてデカダニズムを近代人たる自分も持つつもりでいました。ところが、日本へ帰ってみると、日本の半封建の精神とフランスの近代性、フランスのデカダニズムの社会的精神的必然との間に非常な歴史的地盤の相違があって、永井荷風は、自分の見いだそうとした精神のよりどころを、当時の日本の社会対自身のうちに見いだせなかった。封建的な日本と闘ってゆくその自由さえ、デカダニズムをもって抗すべき近代小市民生活の自主性さえ、日本には確立していない。その結果荷風は、ヨーロッパふうな社会的なものの考えかたは放擲して、自身の有産的境地のゆるす範囲に晦(とうかい)して、好色的文学に入ってしまった作家です。社会に発現するあらゆる事象を、骨の髄までみて、そこに出てくる膿までもたじろがずに見きわめる意味でのデカダニズムからははるかに遠くなってしまった。年齢と経済力とに守られて、若い幾多の才能を殺した戦争の恐怖からある程度遠のいて暮せたこの作家が、それらの恐怖、それらの惨禍、それらの窮乏にかかわりない世界で、かかわりない人生断面をとり扱った作品が、ともかく日本で治安維持法が解かれた直後のジャーナリズムを独占した、ということは私どもにとって忘れることのできない現実だと思います。
名古屋風俗
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2005年10月27日

微妙な違い

サンワレバーのスイッチって固いのと柔らかいのがあるような
気がするなーって思って調べてみたらやっぱり違う事が発覚。
更に恐ろしいことにスイッチが乗っている基板の型番まで違う。
軸受けのパーツが変わっている事は気づいていたけどまさかねぇ。

で、古いやつと新しいやつをキメラ化させてレバーを組み立て
直したら結構具合のいいレバーに仕上がった。ホリの汎用で使う
レバーに近い感じというか。とりあえずこれで慣らしてみよう。

ガルーダIIのプロモムービー、ないわー。
posted by ケンプル at 09:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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